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【社内対談】加賀市から全国へ 。地域の子どもの創造的な居場所を支える「みんなのクリエイティブハブ」の挑戦

こんにちは、みんなのコード会長の利根川裕太です。

今回は、みんなのコードからスピンオフして特定非営利活動法人LoCoBridgeを設立(※1)した末廣優太に、クリエイティブハブ(※2)の立ち上げからスピンオフするまでの道のりについて、話を聞きました。

プロフィール

話し手:みんなのクリエティブハブ 発起人 末廣優太
茨城県生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科修了。2018年、石川県に移住。学習塾、教育委員会、NPOなど多様な立場から教育事業に従事。2019年に、国内初のコンピュータクラブハウス加賀(加賀市)の館長に就任。2021年以降、ミミミラボ(金沢市)やてくテックすさき(須崎市)の直営拠点や休眠預金を通じた複数拠点の開設・運営を支援。2026年に地域の実践者が想いを分かち、応援し合える相互扶助のプラットフォームとして「みんなのクリエイティブハブ」を立ち上げ、国内13拠点と連携。

聞き手:みんなのコード 理事 会長 利根川裕太
2009年ラクスル創業に参画しプログラミングを学び始める。2015年にみんなのコードを設立(2017年NPO法人化)、学校でのテクノロジー教育普及を推進。文部科学省や内閣官房、経産省など複数の政府委員を歴任し、2023年には「生成AIガイドライン」策定の有識者として参画。2024年より横浜美術大学客員教授。2025年には中央教育審議会デジタル学習基盤特別委員会委員に就任、同年7月より理事会長を務める。

(※1)みんなのコードからスピンオフ、地域の子どもの創造的な居場所を支える「NPO法人 LoCoBridge」を設立https://code.or.jp/news/20260312/

(※2)みんなのコードは、2019年より、子どもたちが家庭環境や地域差に左右されず、テクノロジーに創造的に触れられる環境を広げるため、自治体や株式会社と協働して「クリエイティブハブ」の開設・運営に取り組んでいます。クリエイティブハブは、子どもたちが最新のテクノロジーを活用し、自由に創造活動に取り組める子どもの居場所です。

石川県加賀市、1人からはじまったクリエイティブハブ拠点事業

▲ コンピュータクラブハウス加賀の開設時、左から利根川、末廣、宮元元加賀市長

利根川
ついに末廣さんが次のチャレンジに向かう日がきましたね。丸7年と1ヶ月?みんなのコードの歴史の3分の2には末廣さんがいるということですね。まずは率直に、今の気持ちは?

末廣
正直、あまり実感が湧かない部分もありますが、振り返ると本当に濃い時間でした。入社したのは2019年。当時は、学校でのプログラミング教育支援の真っ只中で、小学校・中学校向けの教材開発が急ピッチで進んでいた時期でしたね。

利根川
末廣さんとの出会いは、2018年12月に福井県で開催された「こどもプログラミング・サミット」ですよね。サミットの中で、ひときわ若い参加者なのに臆せず手を挙げて発言している姿を見て、若いうちに影響力を持って活動している勢いを感じて、話しかけたことを今でも覚えています。

末廣
当時、僕は珠洲の教育委員会でICT支援員をして、情報収集のためにサミットに参加しました。活動の中にもどかしさを感じていた時だったのと、利根川さんが年長者とパネルディスカッションで渡り合っていたのを覚えています。そして、利根川さんから石川県加賀市にコンピュータクラブハウス加賀をつくる話をもらって、新しい可能性を感じました。

利根川
あの頃のみんなのコードの雰囲気って、今とはまた違っていたし、この人なら新しい取組を立ち上げてくれるイメージを持ちました。

末廣
入社当時の私から見たみんなのコードは、自由闊達な雰囲気で、それぞれが自らの武器に誇りを持ち活動をしている様子でした。一人一人にメンバーからが割り当てられるほどの規模だったことも覚えています。

▲ カラフルなパーカーを着たみんなのコードの集合写真・2019年。前列一番右が末廣

利根川
2020年にはコロナ渦があって、2019年から末廣さんには加賀市拠点の運営を任せていたけれど、あの時期は相当ハードだったのでは?

末廣
今でこそ、各拠点に社員が2名以上いますが、2019年からの2年間は、メンター等の職員と一緒に事業を行っていたものの、担当社員は私1人だったので、館の運営に関する意思決定をほとんど一人で担っていました。当時、コンピュータクラブハウスや類似施設において、常駐で運営全体を担う立場(いわゆる館長)は日本で自分だけという状況で、気軽に相談できる仲間もいませんでした。加賀市の目玉政策の一つでもあり、プレッシャーも大きかったと思います。コロナ禍では「1日10名まで」という利用制限もあり、広報のバランスには特に悩みました。子どもが来なくても困るし、来すぎても困る。イベントを開催する際には、地域の学習塾や高校を一軒一軒回り、足で稼いで集客したことを今でもよく覚えています。あのときの泥臭い経験が、今の自分の血肉になっていると感じますね。

▲ 開館当時の写真

利根川
その後、2021年にチームができて4人体制になった時、末廣さんが「自分以外の人と一緒に朝礼に出られるのが嬉しい」って言っていたのが印象的です。

末廣
それまでは地方拠点で一人、画面越しに東京メンバーとの会議に参加する「孤独なオンライン参加者」でしたから。目の前にチームメンバーがいて、同じ空気を吸いながら「おはようございます」と言える景色が、どれほど尊いか。あの喜びは今でも忘れられません。

利根川
そうだよね、オンラインでは繋がっていたものの、現場で一緒に働く仲間がいることは違った働き方や喜びがあるよね。メンバーが増えてどういう変化があった?

末廣
2021年に3人のメンバーが入社してくれて、それから拠点が増えたことで、現時点で卒業したメンバーも含めて、15名のメンバーが関わってくれています。1人で考えてきたところから、チームで集まることを経験して、自分だけでは見つからなかった視点や発想を広げることができました。

GirlsDay等の企画を通じた、女子利用率増加の施策はその一つです(※3)。ずっとやりたかったけれど、一人では手が回らなかった。やってみようと声をかけて、それに呼応するメンバーのおかげで実現できたことがいっぱいありました。

(※3)【テクノロジー分野のジェンダーキャップ】女子参加率を上げたい!注力した3つのこだわりhttps://note.com/codeforeveryone/n/nbb6c6a36ac44

何も知らないからこそ、バリューが出せた——組織の成熟と加速のジレンマ

利根川
その後、ミミミラボやてくテックといった新規拠点の立ち上げもあったね。末廣さんとは「直営2,000拠点を目指すぞ!」と言って、他のメンバーも一緒に営業しまくっていた時期だよね。

末廣
あの頃の僕らは、良い意味で無知で無謀でしたね。利根川さんから何か振られたら、内容を精査する前に「やりましょう!」とイエスしか言わなかった。とにかく拠点を作ること、形にすることに全力を注いでいました。

利根川
でも、組織が大きくなって、マネジメントや合意形成のフローが整ってくると、その勢いに変化が出てきたんじゃないかな。

末廣
そうですね。組織が整備され、物事がロジカルに運ぶようになるほど、僕個人の活動ペースは失速していった感覚があります。昔は、大きい助成金の申請を出すのだって、代表に確認もせずに出そうとして「一応、利根川さんに通した方がいいよ」って社内で止められたりして(笑)。勝手にやれる裁量が僕の強みだった。

利根川
流石に自由すぎたけどね(笑)。でも、今はもうステークホルダーも増えて来て「雑に立ち上げる」よりも「組織で立ち上げる」フェーズに入っている。

末廣
みんなのコードに入社した当初は、テクノロジーの創造的な居場所事業は、言葉通り「日本初」の取り組みでした。ゼロから考え、実行できるからこその面白みがあったと思います。部署にメンバーを迎え、拠点が増え、他人と意思疎通をする必要性が生じた。部署のミッションができて、拠点共通の指針を作って。自分の外側に言葉や数字が構築されていくことを経験しました。これからは、より多くの地域で多くの子どもに届けるために、組織を超えて連携していく必要があります。自らが旗振り役となりながらも、取り組み全体の熱の総量を上げていけるように振る舞いたいです。

▲ 2024年みんなのクリエイティブハブ研修集合写真

離島から描く、7年後の景色

利根川
今回、末廣さんは自身でNPO法人を設立して、いわば「のれん分け」の形でみんなのコードを卒業するわけだけど、不安はなかった?

末廣
不安も驚きも意外と少なかったですね。もともと「いつかは利根川裕太を超えたい」という生意気な目標がありましたし、代表権がないことへのもどかしさもどこかで感じていたので。些細なことですが、法人立ち上げ時の地味なあれこれも楽しんでいます(涙)。設立認証から登記に至るまでの地味な調整。銀行口座が作れなくて躓いたり、登記簿謄本って意外と簡単に発行できるんだな、など。こうした実務の苦労も含めて、起業の「道」を通っている感覚があって、今はすごく面白いです。

利根川
大学院に通いながら、育休も取得して、公私ともに激動の7年だったよね。

末廣
みんなのコードという組織の柔軟性には、本当に感謝しています。団体内で最初の育休取得者として制度を使わせてもらいましたし、組織としての安定感があったからこそ、学問や子育てという人生の大きなイベントを並行して走り抜けることができました。

▲ 通学した大阪大学での写真

利根川
さて、ここからが本番だ。5年後、7年後の末廣さんはどうなっている?

末廣
二つの未来を想像しています。一つは、「みんなのクリエイティブハブ」が全国100拠点に広がり、日本のインフラとしてさらなる普及の道筋が見えている未来。もう一つは、NPO経営の難しさに直面して、表舞台から姿を消し、「島の人」として静かに暮らしている未来。どちらにせよ、挑戦した結果なら受け入れるつもりです。

利根川
厳しいね。でも、末廣さんならやってくれると信じているよ。

末廣
僕が実現したいのは、日本の隅々、特に離島や僻地の子どもたちが、自分らしくやりたいことを見つけられる場所を作ることです。「地域の教育の場として、みんなのクリエイティブハブがあるのが当たり前」という状態を作りたい。

利根川
期待しています。みんなのコードを超えるぐらいの存在になって、また語り合いましょう。

末廣
ありがとうございます。みんなのコードは僕にとって永遠のベンチマークです。追い越し、追い越されるような、良いライバルであり続けられるよう、精一杯やってみます。

▲ 2025年3月13日:みんなのクリエイティブ休眠預金活用事業成果報告会&LoCoBrigeお披露目イベントでの集合写真

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