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みんなのコードマガジン

活動レポートをお届けするウェブマガジン

子どもたちに、テクノロジーを使ったものづくりの機会を。アーティストとしての強みを武器に働く!

はじめまして!2023年に、みんなのコードに新卒入社した吉川です。

私はいま、石川県金沢市にある、子どもたちが自由にテクノロジーに触れられる居場所「ミミミラボ」でコーディネーターとして勤務しています。

「ミミミラボ」に来る子どもたちに、新しいデジタル機器を使ったものづくりを通して、子どもの頭の中にある考えを自ら形にしていく楽しさを広げています。個人的にはアーティスト活動も行っているので、特にアート的な思考を強みとして子どもたちと活動しています。

島根出身の私が、なぜミミミラボで働くことになったのか、ターニングポイントとなった学生時代のことも振り返りながらお話ししたいと思います。地方都市で働くことやアート系の経験を仕事に活かしたい方々にこの記事が届くと嬉しいです。

絵を描くことが好き

幼少期から、父と兄の影響で絵を描くことが好きでした。

小学生の時は漫画やアニメのキャラクターの絵を画用紙に描いたり、PCで描いたりもしていました。中学生の時、生徒会長をしていたのですが体育祭のポスターを描いた記憶があります。ただ、小学校に入った頃から空手を習いはじめたので、当時はそちらに夢中でした。

当時は本当に空手に熱中していて、全国大会の出場、入賞を目指していました。一方で、絵は描くこと自体が楽しい!といった感じで、将来に結びつくとはあまり考えていませんでした。ひっそりとイラストレーターになりたいなと思っていましたが、胸のうちに秘めていました。

そんなある日、兄の紹介で高校の美術の教員でもある油絵の先生を知りました。その先生の絵がもの凄くかっこよくて、衝撃を受けたのを覚えています。

アートのまち金沢で

高校は美術部に入部し、油絵の面白さにのめり込んでいきました。

この頃から、ただ絵を描くだけでなく、テクノロジーを活用して、好きな絵を発信したり、必要な情報を収集するようになりました。具体的には、pixivやイラスト掲示板に自分の絵をアップしたり、イラストレーターの仕事をしている人を調べたり、好きな作家の絵を見たり。

その後、美術部の先生の勧めで美術予備校へ入塾。大学は憧れの画家が卒業した金沢美術工芸大学一択で受験し、1年の浪人期間を経て無事入学しました。

地元には、文化的なことに触れる機会が少なく、テクノロジーや芸術を楽しんでいる大人が周りにいませんでした。一方で、金沢はバーの店員さんが音楽に詳しかったり、展覧会が頻繁に開催されていたり、先輩たちが夜な夜な芸術について議論していたりとにかく刺激的でした。


そうした金沢の環境や出会った人たちの影響で、今も続けている現代美術や映像に興味を持ち始めました。印象的だった経験として、一年生の春から始めた美術館でのボランティア活動があります。大学生がフィルム映画の技術を継承しその魅力を市民の皆さんに紹介するといった内容です。目の見えづらい、見えない方にも映画を楽しんでいただけるような企画を考えるなど、観客に合わせた空間づくりやPRの経験をさせていただきました。ここでの経験があったからこそ、後にミミミラボのコンセプトである「第三の居場所」という考え方に深く共感できたのだと思います。

コンピュータクラブハウス加賀との出会い、居場所づくりへの興味

大学3年生くらいの時点では、就職は全く考えておらず、大学院へ進学するつもりでした。先輩たちにはフリーターをしながら作家活動をしている人も珍しくなかったので、自分も何となくそうなると思っていましたね。

そんな中、自分自身のコミュニティや人脈を広げようと、展覧会やイベント、ワークショップへ積極的に参加していたところ、当時「コンピュータクラブハウス加賀(以下、CCH)」の館長と出会いました。

実はこの頃、前述の美術館での活動でも「居場所づくりができないか」という話がよく出ていました。そこで、「行政が行う居場所づくり」と「民間団体が行う居場所づくり」の両方に所属して、それぞれの違いを比べてみたいと思ったんです。

その後、2021年7月にミミミラボがオープンし、アルバイトでメンターとして関わらせてもらいました。そして、就職先を考え始めた2022年秋頃、当時の館長から社員として誘っていただきました。当時は財団職員の仕事なども検討していましたが、私の作家活動とのパラレルキャリアを応援してくれる組織文化に心を打たれ、みんなのコードへの入社を決意しました。今でも、みんなのコードのメンバーは、私のアーティスト活動をリスペクトしてくれています。

子どもたちが安心して過ごせる場所でありたい

現在はミミミラボのコーディネーターとして働いています。ミミミラボでは、館長と、施設運営の実務を担当するコーディネーターと、子どもたちの活動をサポートするメンターで運営しています。

現在私が担当しているのは、子どもたちと一緒に機材を使って活動をしたり、子どもたちがさまざまな機材に興味を持てるような空間づくりを考えたり、メンターが働きやすいような仕組みや関係性づくりを考えたりすることです。

メンター時代は、子どもに技術的なことで頼られることが多かったですが、コーディネーターになってからは、居場所的な側面で頼られることが多くなりました。

私も、できるだけ一人ひとりの特性を理解して接するようにしたいと心がけています。ミミミラボは子どもたちが安心できる場所でありたいと思っているので、こうした関係づくりは大切にしています。

昨年の春、ミミミラボで動画部が発足されました。ゲームの画面を撮影してみたり、鬼ごっこをするときにカメラを持ちながらしてみたり、遊びの中で作品作りのアイデアが生まれたりしています。こういった、人間関係の変化によってものづくりにも影響が生まれることには注視しています。

さらに、最近は子どもたちの方も、ミミミラボへの愛着を強く持っていると感じる場面が増えてきました。例えば、初めてミミミラボに遊びに来た子どもや見学の大人たちに対して、Wi-Fiの場所を教えたりしているんです。まるで我が家を案内しているかのように。嬉しい光景ですね。

自分の強みを活かして、子どもたちと接する

大学時代の経験は、対象の捉え方や発想、課題発見能力を身につけさせてくれたと思います。それらの経験は、決して、アーティスト活動を行う場面だけでなく、さまざまな場面に転用できるものではないかと思います。

私の、「現代美術の作家」という側面は、ミミミラボで子どもたちと接する上でも、何かしら影響があるように思います。

例えば、高校生の探求授業の課題。生徒たちはテーマに設定した対象の情報を調査、探求し社会課題の解決に取り組みます。課題設定、調査方法、情報整理など、調べるプロセスが、高校生たちにとってどのような学びになるのか、「対象についての知識を得る」以外の学びの要素がどのようなものか意識する必要があるように感じました。自分自身の研究、作品制作として行う場合はどうするかなと考えながら関わっています。

また、多様性の考え方も意識するようにしています。私は、美大入学以降、さまざまな側面を持つ人と出会いました。嗜好や表現手段など当時の自分にとっては想像を超える出会い、出来事がたくさんありました。自分の中で知らず知らず作ってしまう固定概念やラベリングに注意を向けながら都度、目の前の人やものの多様な側面と関わっていきたいと思っています。

例えば、作品制作をする際、ある対象や状況に対して「当たり前を問い直すこと」を意識します。作品制作の経験の中で物事の背景を考える想像力が養われたように思います。多くの人にとって当たり前になってしまっていることに対して違和感を持つことに抵抗がなくなったというか、自分なりの関わり方を考えるようになりました。

「そんなこと考えて過ごしているの!?」と、私に対して思う人もいるかもしれません。誰かにとっての当たり前は、誰かにとっての違和感だったりするものかと思います。例えば、学校には行きづらさを感じているけれど、ミミミラボには来てくれるという子がいます。その子なりの世の中との関わり方を考える上でミミミラボを活用してくれるのであれば、それでいいと思うし、応援したい。そういうことが伝わるように接しています。

ミミミラボを、多様な価値観が集まる場所にしたい

今後は、子どもたちがミミミラボにいるだけで、何か学びを得られる環境を作りたいと思っています。子どもたちの当たり前を広げたいというか。色々な人がいて、自分も他人も違うことが当たり前な環境。具体的な今後の取り組みとしては海外ルーツの人がいて当たり前の環境を作るために、海外留学生メンターを募集するなどアプローチしていきたいと思っています。

また、テクノロジー機材だけがあるのではなく、それらを使ってたくさんの作例が生まれる環境にしていきたいと思っています。例えば、「3Dプリンターでこんなものも作れるんだ!」という経験をする、あるいは見ることで、それを使って実現できることの選択肢をたくさん持てるようになって欲しい。

いずれ大人になって何かを実現したいと思った時、ミミミラボにあるような機材がパッと選択肢に挙がるぐらい、子どもたちの意識の中にテクノロジー機材が存在してくれていたら嬉しいですね。

私もたくさん作品を作って、ミミミラボに置かないとなと思っています。たくさんの作品や人に触れることでさまざまな価値観が体感できる居場所づくりを目指していきます。

そして、いつかは私が生まれ育った島根でも、ミミミラボのような様々な人、カルチャーと触れ合うことの出来る第三の居場所を作りたいです。テクノロジーへの関わり方によって、その後の人生は大きく変わると私は信じています。

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