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みんなのコードマガジン

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みんなのコードをはじめた話

この記事のポイント

みんなのコード代表の利根川です。みんなのコードは今度の7月で設立3年を迎えます。普段は前を見る事が多いですが、何回かに分けて3年を振り返ってみたいと思います。

はじめたきっかけ

みんなのコードをはじめる前は、「ラクスル」という上場予定のベンチャーで、立ち上げフェーズからエンジニアをしていました。今だから普通に書けますが、自分のような創業期からのメンバーよりも優秀な人がどんどん増えていたのが社内の状況で、「会社は伸びているけど別に自分の力じゃないよなぁ」とか思いながら少し不完全燃焼気味の日々でした。

そうなると、古株のミッションというのはいわゆる「業務」ではなく「文化づくり」や「人づくり」が多くなります。その中の1つがノンエンジニアにエンジニアの事を伝えるという活動でした。例えばエンジニアではないがデータを扱う必要がある社員がMySQLを直接使えるようにするための社内勉強会開催です。

この勉強会の第二弾として、プログラミングを昼休みの1時間で体験しようとの事になり、何か良いものは無いかなとたまたま見つけたのが 「Hour of Code 古典的な迷路コース」 でした。初めての Hour of Code ワークショップが盛り上がった上に、必要な要素をバランス良く抑えているコース設計やザッカーバーグ氏やビル・ゲイツ氏がチュートリアルに協力している点でHour of Codeにすっかり惚れ込んでしまいました。

一週間も待たずに今度は子ども向けワークショップを開催することになりました。当時は頑張って声を描けて合計16人くらいしか集まりませんでした。しかし、ワークショップでの子どもたちの反応は予想以上で、楽しそうでありながら真剣にみんなが取り組んでいて、「この取組をもっとやってみたい」との思いが強くなりました。

決断

2014年の正月、Hour of Code や Code.org の事を調べてみたり、人生のプランとかを考える中で、「コンピュータサイエンス教育の非営利法人をやってみよう」という思いがスッと腹に落ちました。

  • 社会的に考えてコンピュータをきちんと扱う教育は間違いなくもっと必要になる。
  • 既に塾領域で始めている企業はいくつかあるし、 自分が影響された Code.org と同じ非営利法人が良さそう。

という攻めの2点と

  • アメリカでの動きを見ると、キャリアとして非営利セクターを選ぶのはもっとメジャーになる。
  • 非営利法人・起業支援フリーランス・ラクスル を1/3ずつ位やれば生活もどうにかなりそう。

という守りの2点の大まかな4つの観点だけ抑えたら、意思決定できました。

ちなみに、当時の予想と現状を比べると活動が思いの外大きくなり「自分の1/3では足りなくなった」のと「メンバーも増え『キャリアとして』というよりも長期間コミットすることになりそう」という点は違ってきましたが、その他のヨミは概ねあたっている or ヨミ以上といった感じです。

設立

まずは副業として始め、2015年7月に法人の登記を完了。その後、2015年12月に GoogleやMicrosoft を含む各方面に日本国内の関係者で協業しましょうと声を掛けて「 Hour of Code Japan 2015 」を開催しました。それまでは各者がバラバラに行なっていたHour of Codeの取り組みを初めて連動して開催することができました。スポンサーしてくださる会社もありプログラミング教育の普及啓発から少しずつだけど動きだしたな、という感覚がありました。2016年に入ったあたりから私立の授業で扱っていただいたり、公立の土曜教室をサポートしたり、先生向けの勉強会を開催したりと、学校での活動も少しずつ種を蒔き始めていました。

次回はご存知の小学校プログラミング必修化の決定とその時の有識者会議にお招き頂く事による激変の話から始めたいと思います。

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