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「メンバー全員年上なんて、無理だ」リーダー経験がない私が部長になった話

こんにちは、みんなのコードの釜野です。

私は、2022年2月から2024年9月まで、未来の学び探究部の部長を務めました。未来の学び探究部は、学校教育における授業研究、実態調査や教員研修などを通して、これからの日本の情報教育の在り方について研究しています。

そして、この部署の1番の特徴は教員経験が豊富なメンバーが集まるという点であり、平均年齢が51歳なのです。

異動したばかりのとき、私はまだ新卒3年目で、非常にハードでした(笑)。この2年間で何に葛藤し、何を問い、何を学んだのかを記事に残したいと思います。

異動とともに「部長」に

2022年2月、みんなのコードに入社して2年目、当時の私は26歳でした。

それまで、企業連携チームにいた私は、次は学校教育事業に全力を尽くしたいという思いで異動を申しでました。その時は、まさか異動とともに部長になるとは思いませんでした。

いまだから分かりますが、組織としても、とてもチャレンジングな意思決定だったと思います。
そして、異動先でのメンバーは・・・元小学校の校長先生、元小・中・高の先生と、みなさん、私の親くらいの年齢で、プロフェッショナルな方々でした。

最初の仕事は、部署名を決めることから

まず最初の業務は「チームのみなさんと”部署名”を決めてください」でした。

元々は「学校教育支援部」という名称で、その当時は主に、プログラミング教育の教員研修をしてました。しかし、事業部として2030年代の日本の情報教育を推進するための活動へと転換する必要がありました。「これからの学び」に向けて考え・活動していく部署になるということから、メンバーが変わることと同時に部署名も変えようという試みでした。

はじめに様々なキーワードをチーム全員で洗い出して、案を出しました。

※このとき生成AIはまだ流行っていなかったので使っていません!笑

そして、決まったのが「未来の学び探究部」です。

「学ぶ」というキーワードが目立っていた中で、「未来」とつけることで、常に未来も意識していることや前に進むことを表現し、自分たちも「探究」し続けるという姿勢の意味も込めて、その名前に辿り着きました。

「部長(笑)」時代

さて、ある日突然「部長」になったら、みなさんは何を考え、何をしますか?
私は部長になったときを今でも忘れません。

「全員年上じゃないか、無理だ」

そうです。メンバーは私より全員年上。
それどころか、私より前からみんなのコードにいたメンバーもいました。大学時代からみんなのコードでインターンとして働いてきた私にとって、尊敬する元学校の先生が集まったプロフェッショナル集団の部署というイメージでした。

私自身まだ経験値もない自分に対して「部長(笑)」という状況だと感じました。名刺交換をする際も、新しくお会いする際にご挨拶するときも「部長です」と胸を張って、最初は言うことができませんでした。

実はその頃、私はあるプロジェクトのために仙台へ移住して2年目でした。通常の仕事ですら、慣れていない仙台という土地で毎日を過ごす中で、自分に務まるのだろうかという不安が数えきれないほどありました。しかし、異動をCEOの利根川やCOOの杉之原に申し出たのは他でもない自分自身でした。そこで「自分なりの“部長像”を作り上げたい」と考えるようになり、前に進むことを決心しました。

そのときに、COOの杉之原と話して心に留めたことは、

  • 「前部長の”後任”ではない」
  • 「新しいチームは3ヶ月は必ずかかると思った方がいい」

という2つです。

以前の「学校教育支援部」では、校長先生経験があるメンバーが部長をされていました。その時点で吐き気がするくらい緊張しました。はじめは「どうしたら後任として自分は役に立てるか」と考えましたが、「後任だと思うから肩に力が入るのだということ」に気づき、ハッとしました。「だれかの後」と考えるのではなく「どうして自分が任されたのか」ということです。

これまでもみんなのコードに入ってから、0から1のような担当プロジェクトが多かった中、すべて真似できるものがなかったので、試行錯誤していくしかありませんでした。
「自分にはなにができるか」を考えつづけた日々を思い出しました。

ここから、「自分なりの”部長”」の第一歩がはじまりました。

そして、私が部長になった頃、2030年代の次期学習指導要領に向けて構想を集中して練るため、メンバーと日々議論を続けていました。

※2023年の全社オフサイトで発表した部署の「実感」を話す時間で使用したスライドです。部長になる前からプロジェクトリーダーとして、オフサイトをたくさん企画していました。

わたしが部長としてできることを考えた時、「みなさんがプロのスポーツ選手だとしたら、私はそのマネージャーである」でした。

部長というには恐れ多く、「サポートするマネージャー」という認識で挑みました。
やってきたこととしては、スケジュールの把握・調整とパフォーマンスを最大化できるようなマネジメントがありました。

一方で、自分の意識を変えることや会議でのコミュニケーションを重ねていっても、自分に自信がつかないままでした。「自分はチームのためになっているのか」「メンバーは今どう思っているのか」などのモヤモヤと緊張の日々がつづいていました。

そこには私自身の「焦り」から生じるものだったと。

そこでCOOの杉之原からの言葉で「新しいチームづくりは3ヶ月は必ずかかると思った方がいい」を元に少し肩の力を緩めて、「時間がかかるものだ」と腹を括りました。

メンバーとしてではなく、人として知る

私は、仕事を通じてメンバーを知るのではなく、「メンバーその人自身について知りたい」と思いました。仕事や役職でその人を知るのではなく、人として知ろうと思い、アクションしたことが3つあります。


①ひとりひとりとじっくり向き合う

メンバー1人ずつとの「雑談タイム」をはじめました。
※みんなのコードでは、COO発信で1対1で話すときは「雑談タイム」と呼んでいます。

プロジェクトの確認のみならず、「最近の〇〇さん」と題して、最近起こったことや感じたことを伺います。もちろん、はじめの頃は非常に緊張して、がっつり業務確認が先行していました(笑)。正直今でも緊張するときもありますし、事前にどんなお話をしたいか毎回考えています。

徐々にゆるめの「雑談」もできるようになると、私自身の緊張もほぐれて、雑談から話を進められるようになりました。


②オフサイトのアイスブレイクでは、その人自身が垣間見える

個別で雑談する機会をもっているものの、チームでゆっくり1日中話せる時間も大切です。未来の学び探究部では、年に3回春・夏・冬に、チームのオフサイトを実施しました。

その際に、オフサイトのメイン目的である「目の前にある課題にどう向き合うか(未来寄りのもの)」に加えて、どうやったらチームの距離がもっと縮まるか」のアイスブレイクと雰囲気づくりを大切にしていました。

せっかく全員が集まれる数少ない時間でもあるので、ふだん話せない「その人を少しでも知れる」機会を意識しました。

これまで実施したアイスブレイクの例としては・・・

  • 名将タイプ診断
  • 「正直なところ・・・」「困っていること」わいがや
  • 「そのきもち星いくつ」
  • 車座になって互いを知るタイム 
  • 年末のオフサイトで、書き初めならぬ書き納め
  • 今年をひとこと・漢字一文字で表すと?
  • 今年心が動いた瞬間
  • 認知と賞賛タイム
  • なんでも絵日記

もちろん、プロジェクトの大詰め期は、会議室に丸一日缶詰状態になったこともありましたが、アイスブレイクの時間を取ることにこだわってきました。

特にメンバーから印象的だと言ってもらえるのは「車座になってお互いについて話した時です。

「PCから離れて、間に机もなく、車座で円になって座るのは新鮮だった」

「メモをとりながら質問はどちらにも集中できないから、どちらかに没頭できてよかった」

「なかなかメンバーで車座で座ること自体なかったから、対面で向き合っているのがよかった」

こんなコメントをもらい、全力で考えて真剣に向き合った分だけ、メンバーのみなさんに伝わるんだと嬉しい気持ちになりました。

③知っているようで知らないお互いを知る

2021年の春に社外の研修として、【原体験ドリブン】第5期 認定ファシリテーター養成講座を受けました。

なにかの問題に取り組むにしても、熱くなる部分や得意なこと、苦手なこと、それぞれ原体験があります。相手の原体験を知ることで、「この人はどんなことに熱くなるか」などの考え方が共有されます。そして、仕事にも繋がることがあります。

原体験ワークを社内に取り入れてから、メンバーひとりひとりの原体験を意識するようになりました。例えば、様々な背景をもって集まったメンバーなので、ひとりひとりが「どうしてみんなのコードに入ったのか」「みんなのコードでやりたいと思っていることができているのか」「働きている上での思い、こだわり」などメンバーひとりひとり改めて共有する時間を大切にしていました。

試行錯誤がかたちになって、チームになる

この2年間わからないながらも、たくさん頭を捻り、様々なことに挑戦しました。振り返ると「部長だから」という呪縛をおそらく自分が自分にかけていました。

何かの責任は自分がすべて負う、頼る前に自分でやらなきゃいけない。など、人から言われてもいないのに、自分自身で圧をかけていました。そのため、最初の頃はメンバーにうまく頼れず「信頼されていないかも」という気持ちにさせてしまったときもありました。

時には「どういうことだ!」「かまのぶっとんでんなー!」と、メンバーに思わせる場面が多々あったと思います。自分自身も「思ったことがうまく伝わっていないどうしたらいいんだ」と頭を抱えて悩む日もたくさんありました。

でも、メンバーのひとりひとりに「やってみよう!」の姿勢があったからこそ、いつも一緒に全力で取り組むことができました。本当に感謝しています。

次期指導要領に向けて、チームで同じ方向を向いて一緒に考え、悩み、何度も壁にぶつかってきました。チームでたくさん対話する必要があり、議論が深まるまでオフサイトを繰り返し開催しました。私が担当したオフサイトは、全部で27本ありました。

オフサイトだけではなく、プロマネとして、多くのプロジェクトをメンバーのみなさんと協力して、「成果物」として残せた「報告書」も、私の糧となっています。

「全員年上じゃないか、無理だ」の行く末

はじめに思った年齢の違い。
意識しないように思いつつ、なかなか抜け出せませんでした。

でも思いを共有し合い、過ごした時間が濃くなれば、「年齢が違うから壁ができる」と思ってしまう前に「だれだって人間である」ということを前提に向き合うことの大切さを実感しました。

20代で、この貴重な経験をさせていただき、以下のことが特に自分の中で強化されました。

  • とことん、ひとりひとり向き合うこと
  • 「本当はどう思っているのか」「〇〇さんがやりたいことは?」について、メンバーのみなさんにも自分にも問いかけること
  • こだわりと向き合うこと
  • 「学校教育」にとことん向き合ったこと
  • ゼロからつくることの力がついた
  • やばいという焦りから、やるぞの切り替えが早くなった(危険なときこその冷静さ)
  • 出張の準備が早くなった(笑)

部長になりたてのときは20代半ばで、新卒で入社した未熟な自分に、部長というミッションをくださった、代表の利根川さんとCOOの杉之原さん、「部長(笑)」ではなく「部長」として仲間に入れてくださった未来の学び探究部のメンバー、部署の垣根を超えて私のことを支えてくださった他部署のみなさんに、心から感謝しています。

2024年10月からは、社会教育アプローチのクリエイティブハブ事業に挑戦しています。

次のステージでもまた、わたしにしかできないキャリアを描いていきたいと思っています。

【参考資料:未来の学び探究部が発行した報告書】

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